One of TAMBOURINES

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e0105130_13265038.jpg突然のことだった。
Sayoのお父さんが
地上での83年にわたる生涯を閉じられた。
大晦日の朝、ご自宅で、
お母さんが声を掛けられたあと
ほんの少し、その場を離れた間のことだったそうだ。
まるで眠っておられるかのような
安らかなお顔で。

その知らせを私が聞いたのは
金沢の恩師を訪ねる道中であった。
ショックだった。
ことばがなかった。

(神がなさることなのだから、この時が最善の時であるはず・・・)

頭に浮かぶ言葉が
しかし、下に(心に)降りて来ない。

(なぜ、なぜ、今が最善なのですか?)

呆然と、夏にお会いした日のことを
車中思い巡らせていた。
すばらしい再会の時だった。
またお会いできると思っていた。
しかし、神はそうされなかった。

(主よ、みこころをお示しください。)


「天の下では、何事にも定まった時期があり、
 すべての営みには時がある。 
 生まれるのに時があり、
 死ぬのに時がある。」  (伝道者の書3:1-2)


(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2007-01-29 15:54

訪問Ⅱ

元旦礼拝後、師ご家族と昼食をご一緒させて頂いた。
こちらとしては、サプライズで押しかけたにもかかわらず
あらかじめ用意されていたかのような素晴しいお席に
驚きと、神のご配慮を感じた。

楽しく、和やかなひとときだった。
それにしても、ガンという重病を負う悲壮感のようなものを
微塵も感じさせない師ご夫妻の姿。
見舞った者たちが拍子抜けするほどに。
実は、私の父も一昨年、やはりガンを宣告され
私自身、それまで味わったことのない
衝撃と悲しみと恐れを体験させられた。
病状の段階によっては、不治の病ではなくなっているとは言え
依然、恐ろしい病気には違いない。
聞けば、師は抗がん剤治療や放射線治療の副作用に
かなり苦しまれたとのこと。
にもかかわらず、このゆるぎない穏やかさは
一体どこから来るのだろう。


「この病を通して、神のご栄光があらわされるよう祈ってください。」


淡々と語られる師の言葉と、奥様のいつもと変わらない笑顔に
逆に励まされるようにして
宿に向かった。
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(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2007-01-13 00:40

訪問 Ⅰ

ガン療養中の恩師を訪ねて、年末31日の礼拝後
石川県まで車を走らせ金沢に入った。
翌日元旦、そこから師が牧会されている(勤めておられる)教会まで
さらに車を走らせ、元旦礼拝に間に合った。

年末年始のみ一時退院されていた師は
なんと講壇に立っていた。
いつもと変わらない、いやそれ以上かもしれない師の語る姿に
メッセージが胸に迫ってくる。

「福音が閉ざされるべき人は
 ひとりもいない。
 たとえ地上で何人も殺した極悪人であろうと
 最後の救いの道が閉ざされることは
 決してない。
 福音とはそういうものだ。」

殺人を容認する言葉では
無論ない。
そうではなくて、人知を超える神の憐れみの深さと
その裏にはむしろ、殺人を犯していない者たちへの
メッセージも隠されているのではないか。
いわゆる「犯罪」を犯していないからと言って
言い逃れできるほど神は小さくはない。
にもかかわらず、知らず知らずに誰かと自分を比較して
あの人よりはまし、あの人ほどではない
と小さな世界の中で自分を正当化し
無意識の優越感さえ抱いていることはないだろうか。
殺人こそ犯してはいないが
完璧に聖い神の前には、皆同じなのだ。

「義人はいない。ひとりもいない。
 悟りのある人はいない。
 神を求める人はいない。
 すべての人が迷い出て、
 みな、ともに無益な者となった。
 善を行う人はいない。ひとりもいない。」
(ローマ人への手紙3:10-12)

この究極的な福音の奥深さに
改めて心を刺し通される思いだ。


(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2007-01-10 23:56

タンバリンズのVocalから


by tmbrs-3
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