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カテゴリ:Easter( 22 )

最後の晩餐Ⅱ

「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、
 この過ぎ越しの食事をすることをどんなに望んでいたことか」(ルカの福音書22:15)

キリストは、切望していたその思いの丈を
最後の晩餐(過越しの食事)にて弟子たちに伝えている。
神の子イエス・キリストは、これから自分が十字架にかかって
死ななければならないことを、もちろん知っていた。
そのような屈辱と苦しみの極みを前に、なぜ彼らとの食事を
ここまで待望していたのだろうか。

それは、この食事が単なるお別れの儀式ではなく、
「過越しの儀式」が終わる、という神のメッセージを伝える
喜びの中にいるからなのだ。

これから自分が十字架刑によって処せられることで、その血が
あの旧約時代、門に塗られた子羊の血のごとく
信じる者に与えられ、神の、人の罪に対する裁きが、永遠に「過ぎ越す」という
神の、計り知れない人への救いのメッセージが秘められているのだ。

「あなたがたに言いますが、過越しが神の国において成就するまでは、
 わたしはもはや二度と過越しの食事をすることはありません。」(ルカの福音書22:16)


キリストの十字架の苦しみは、神の国の完成に向けての
始まりであり、すべての人への福音の始まりなのだ。
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by tmbrs-3 | 2010-04-05 23:53 | Easter

最後の晩餐

「受難週」に入った。
キリストが十字架刑に処せられる受難を覚える一週間。

ところで、苦しみを受ける前に、キリストが弟子たちと共にした最後の食事
それがいわゆる「最後の晩餐」である。
「過越しの食事」(=Passover)、ともいわれる最後の晩餐はどのようなものであったか。

旧約聖書の時代、神の民イスラエル人は
長い間エジプトで囚われの身となっていた。
神はリーダーにモーセを立て、民を解放へと導こうとしたが
エジプトの王パロは、それを拒んだ。
神はモーセを通して何度もパロに警告を与えてはエジプトにわざわいをもたらした。
それでも心を頑なにするパロに対して、最後に与えられたわざわいは
エジプト中の初子(それは家畜に至るまでの)は皆死ぬ、というものだった。
イスラエルの民には、エジプト人と区別するために
このわざわいが過ぎ越す(=pass over)しるしとして神が示されたものがあった。
それは家の門に、ほふられた子羊の血を塗ることだった。

「わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。
 わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。」(出エジプト記12:13)


(旧約時代、民は自分たちの神に対する罪の代償として
 汚れのない子羊をほふり全焼のいけにえとして神にささげていた)

その夜、神への過越しのいけにえとして食べたのが
ふられた羊を焼き、種を入れないパンに苦菜を添えた食事だった。
この食べ方も、神がモーセを通して民に告げられた方法であった。(つづく)
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by tmbrs-3 | 2010-03-31 01:44 | Easter

受難週

今週は「受難週」。
イエス・キリストが十字架刑に処せられるまでの
そして、死んで墓に葬られるまでの
人としてこの地上で受けた苦しみを覚える週。
(詳細は去年の受難週のブログにアップ)


「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
 だが、私たちは思った。
 彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
 しかし、彼は、
 私たちのそむきの罪のために刺し通され、
 私たちの咎のために砕かれた。
 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
 私たちはみな、羊のようにさまよい、
 おのおの、自分かってな道に向かって行った。
 しかし、主は、私たちのすべての咎を
 彼に負わせた。」     (イザヤ53:4~6)



クリスチャンになる、ということはどういうことか。
それは、聖書に書かれてあることを
「歴史的事実」として信じ受け入れることだと私は思っている。
それも、「私」と直結した事実として。

(佳代子)
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by tmbrs-3 | 2009-04-05 17:46 | Easter

Easter(イースター)

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2008年3月23日は、キリスト教会の中で
イースター(復活祭)と呼ばれている日でした。
イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスと同様
キリスト教会にとって毎年祝われる大切なイースター、
これは、毎年12月25日に祝うクリスマスなどとは違い、「移動祝日」という日付の固定しない祝日(日本でいう春分の日や秋分の日とかと同じ)で天文計算によって決定します。
「春分の日当日あるいはそれ以降の最初の暦上の満月(新月から数えて14日目)を過ぎたあとの最初の日曜日」がイースターにあたります。
ちなみに、今年はものすごく早かったのですが、2011年のイースターは4月24日になるそうです・・・。

十字架にかけられて死んだイエス・キリストが3日目によみがえった・・・という「んなアホな!」と言われそうなことを、クリスチャンは「事実」として真剣に信じています。もちろん、私たちも。
復活がなければ、キリスト教は成り立たない、といっても決して過言ではありません。


Kayokoが、イースターにまつわるできごとを、聖書を基に、18回にわけて書いてくれました。

1) 受難週
2) 裏切り
3) 神の子キリスト
4) ペテロの否認
5) 判決
6) あざけり
7) 丘の上で
8) イエスの死
9) 復活 Ⅰ[空っぽの墓]
10) 復活 Ⅱ [マリヤに現れる]
11) 復活 Ⅲ [番兵の報告]
12) 復活 Ⅳ [ふたりの弟子に現れる]
13) 復活 Ⅴ [弟子たちに現れる]
14) 復活 Ⅵ [疑い深いトマスにも]
15) 復活 Ⅶ [弟子たちへの三度目の顕現]
16) 復活 Ⅷ [わたしを愛しますか]
17) 復活 Ⅸ [残されたことば]
18) 昇天


ぜひご一読くださいまし001.gif
(新改訳聖書の場合、ひらがなで「わたし」と書かれているのは、
 私たちではなく、神ご自身が話されたことばを意味します。)

(Sayo)


ちなみに、画像はいつもSayoが内容に合ったものを、みつけてくれています。
私もそれが楽しみなんです。045.gif

(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2008-04-03 06:45 | Easter

1) 受難週

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「受難週」とは、
キリストが、十字架につけられるまでの
苦しみの道のりを覚える週である。

イエスは時の人であった。
悪霊を追い出し、病人を癒し
力ある言葉を語り、
人の罪を赦していた。

「受難」は、妬みによるたくらみから始まった。
それも、神に仕える祭司長や
聖書に精通しているはずの律法学者たちによる
たくらみ。
「罪を赦すなど、神を冒涜した行為だ。」
それが彼らの論理だった。
彼らは神に仕えていると言いながら
神の御子であることが見えなかったのだ。
心の眼は完全に閉ざされていた。

彼らの妬みは、明確な殺意にまで達し
どうやったらイエスをだまして捕え
殺すことができるだろうか、と
一致して策略を練るまでになっていた。


「あなたがたは確かに聞きはするが、
 決して悟らない。
 確かに見てはいるが、決してわからない。
 この民の心は鈍くなり、 
 その耳は遠く、
 目はつぶっているからである。
 それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、
 その心で悟って立ち返り、
 わたしにいやされることのないためである。」(マタイの福音書13:14,15)


(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2008-04-03 06:44 | Easter

2) 裏切り

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そのたくらみに、一躍買って出たのが
なんとイエスの十二弟子のひとり、ユダだった。

「彼をあなたがたに売るとしたら、
 いったいいくらくれますか。」
そうして、祭司長たちから銀貨30枚を受け取り
ユダはイエスを引き渡す機会をねらっていた。

イエスが十二弟子と最後の食卓を囲んでいた時だった。
「まことに、あなたがたに告げます。
 あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」
「まさか、私のことではないでしょう。」
ひとりひとりが非常に悲しんでイエスに答えた。
ユダも同じように答えた。
「まさか私のことではないでしょう。」
イエスは彼に言った。
「いや、そうだ。」

その後、イエスはゲッセマネというところに
弟子たちと出掛けて行き、神に祈りをささげた。
これから起ころうとしているすべてを知っての
祈りだった。
そこに、ユダが登場した。
剣や棒を手にした大勢の群衆をひきつれて。
彼らは祭司長たちから差し向けられたものだった。
暗闇の中、弟子たちの中にいるイエスを
明確に彼らに示すユダの合図は
親愛の情をあらわす「口づけ」だった。

「先生、お元気で」ユダはイエスに口づけした。
イエスは答えた。「友よ。何のために来たのですか。」
直後、群衆はイエスを捕え、
弟子たちはみな、イエスを見捨てて
逃げてしまったのだった。



「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。
 『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』
 と書いてあるからです。
 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、
 ガリラヤへ行きます。」(マタイの福音書26:31,32)

 
(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2008-04-03 06:43 | Easter

3) 神の子キリスト

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捕えられたイエスは
大祭司カヤパのところに連れて来られた。
そこには、宗教家たちが議会を開くために勢ぞろいし、
彼らは、最初からイエスを死刑にするために
偽証を求めていた。
それにより、偽証者が多く出たものの
証拠は何一つ出なかった。
その間、イエスは黙っていた。

「あなたは神の子キリストなのか、どうか。
 その答えを言いなさい。」

大祭司の最後の問いに
イエスは初めてその口を開いた。


「あなたの言うとおりです。
 なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち
 人の子が、力ある方の右の座に着き、
 天から雲に乗ってくるのを、あなたがたは見ることになります。」


すると大祭司は憤りのあまり、着ていた衣を引き裂いて言った。
「神への冒涜だ。
 これでもまだ証人が必要でしょうか。
 あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。
 どう考えますか。」
「死刑に当たる。」彼らは答えた。
そうして皆でイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけた。
また、平手打ちをしながら
「当ててみろ。キリスト。
 あなたを打ったのはだれか。」とあざける者たちもいた。

その様子を、固唾をのんで見ていた者がいた。
あとからひそかにつけてきた
弟子のペテロだった。


(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2008-04-03 06:43 | Easter

4) ペテロの否認

あとからひそかにつけて来て
議会での一部始終を、外の中庭で見ていたペテロ。
女中の一人が、彼に近づいてこう言った。
「あなたも、イエスといっしょにいましたね。」
とっさに彼は、打ち消して言った。
「何を言っているのか、私にはわからない」


実は、イエスが捕えられる直前に
弟子たちに告げたこと
『あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます』
に対し、ペテロは豪語していたのだった。
「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても
 私は決してつまずきません。」と。


他の女中も彼を見て、そこにいる人々にこう言った。
「この人はイエスといっしょでした。」
ペテロはまたも打ち消し、誓って言った。
「そんな人は知らない。」
さらに、そのあたりにいる人々が彼に近寄り
「確かに、あなたもあの仲間だ。
 ことばのなまりではっきりわかる。」と言った。
今度は、のろいをかけて誓い始めた。
「そんな人は知らない。」
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すると、すぐに鶏が鳴いた。
と同時に、あのことばを思い出した。
『鶏が鳴く前に三度、
 あなたは、わたしを知らないと言います。』
そう、あの時豪語していたペテロに
語られたイエスのことばを。


自分の本当の姿を知ったペテロは
その場を離れ
ひとり、激しく泣いたのだった。


(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2008-04-03 06:43 | Easter

5) 判決

夜が明けて、議会に集まっていた者たちは
イエスを縛って連れ出し
総督ピラトに引き渡した。
死刑の審判を下させるために。

「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
総督はイエスに尋ねた。
「そのとおりです。」
イエスは答えた。
そののち、祭司長たちから多くの訴えがなされたが
それには一切答えなかった。
総督は促した。
「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに
 聞こえないのですか。」
イエスは沈黙を保ったままだった。
それは、総督が心底驚くほどだった。

(ピラトは、イエスが彼らのねたみから
 引き渡されたことに気づいていた)

ところで、それはちょうどユダヤ人の祭りの期間でもあり
彼は、慣習に倣って群衆のために
望みの囚人を赦免しようと考えた。
「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。
 バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
バラバとは、悪名高い囚人だった。
しかし、祭司長たちは群衆を説きつけ、彼らに言わせた。
「バラバだ。」
ピラトはもう一度きいた。
「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」
「バラバだ。」
「では、キリストと言われているイエスを
 私はどのようにしようか。」
彼らはいっせいに言った。
「十字架につけろ。」
ピラトは問うた。
「あの人がどんな悪い事をしたと言うのか。」
しかし、彼らはそれに答えず、ますます激しく叫び続けた。
「十字架につけろ。」

e0105130_1123519.jpgピラトはとうとう匙を投げた。
自分ではどうしようもなく、暴動になるのを恐れたのだ。
彼は、群衆の目の前で手を洗い、言った。
「この人の血について、私には責任がない。
 自分たちで始末するがよい。」
すると彼らはこう言った。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

そこで、ピラトはバラバを釈放し、
イエスをむち打ってから
十字架につけるために引き渡した。


(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2008-04-03 06:42 | Easter

6) あざけり

e0105130_11114288.jpgそれから、総督の兵士たちは
イエスを官邸の中に連れて行き
全部隊を集めた。
そこでイエスの着物を脱がせ
緋色(高貴な色とされていた)の上着を着せ、
頭にはいばらの冠を、手には葦を持たせた。

「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
彼らはイエスの前にひざまずき、物笑いにした。
さらに、イエスにつばきをかけ、
持たせていた葦を取り上げて、それで頭をたたき
思う存分からかったあげく
その着物を脱がせて、元の着物を着せ
十字架につけるために連れ出した。


(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2008-04-03 06:42 | Easter

タンバリンズのVocalから


by tmbrs-3
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