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心に迫ることば

前述の「著作集」より
これまで心に響いた言葉を抜粋して紹介したい。055.gif


「詩と田」

ここに田というのは実際生活に関する営みのことであり、
詩といったのは、人間内部生活から出て来る所の
あらゆる文化的なるものをさしている。
婦人の友(著者設立)は早くから、
実際生活をよくすることは、文化の基礎だと信じて来た。
しかし私は、深く田を作らない人間に決して詩は出来るものではないことを、
そしてまた同時に、詩を生むためでなければ
人間に田を作る必要は決してないということを、
何かにつけて強く感ずるようになった。
なおいま一つの発見は、田を作るのと詩をつくるのは
別々の仕事ではなく、実に自然なつながりの中に共にあることを
度々鮮やかに感得して、嬉しくありがたい心地がした。


喜び哀しみ何につけても、素直な人のこころには詩歌があり祈りがある。
パンのみにて生きることの出来ない人生には、
かくして至る所に清き詩の泉、歓びのオアシスがつくられてゆく。
しかしいつでもそれは、われわれが額に汗して田を作り
パンを得たその上のことである。

(羽仁もと子著作集20巻『自由・協力・愛』 「詩と田」より)



私たちは往々にして、ここで言うところの詩か田の
いずれかに埋没する傾向がないだろうか、と問われた。
あるいは、どちらかのみ重んじて他方を軽んじる傾向があるのでは、と。
私自身、繰り返される日常生活の諸々のことを「雑事」と呼んで軽んじ、
歌うこと、創作活動こそ自分のなかでの「聖域」と
思っていた時期が長かったように思う。

でも、ここを読んだときにはっきりと示された。
それは間違いであった。
とんでもない的外れであった。
ちゃんと「生活」しないところでいくら「歌」っても
それは、巧みなひとりよがりにすぎないし
かと言って、「生活」のことばかりに命をささげても
それは、目的を失った歯車にすぎないのだ。


清き詩を生むために、額に汗して田を作る者
また、深く田を作らなければ決して生むことのできない
歓びのオアシスをつくる者
そういう人に私はなりたい、と思った。


「ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ人への手紙1:27)


(佳代子)

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by tmbrs-3 | 2009-03-17 21:39

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