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私の場合

自分の罪について
初めて意識したのは小学1年生の頃だった。
友人と外でいつものように遊んでいるとき
ふっと「この子も、私もつみびとなんだ」と
「意識的に」思ったことを覚えている。
別に、悪い遊びをしていたというわけではない。
毎週日曜日に通っていた教会学校で
聖書のお話を聞いていたからだ。

そして、自分の罪に泣いたのが
16歳のとき。
OMFという宣教団体の主催する集会に参加した。
三浦綾子氏の肉声テープが
会場に流れたときだった。
同氏による講演が予定されていたが
癌に倒れ、急遽キャンセルせざるを得なかったのだ。
縛り出すような弱弱しい声。
病を押してお詫びの言葉を録音している姿が
目に浮かんだ。
当時、癌と言えば、今以上に死に直結するイメージだった。
キャンセルしたとて、責める人などいない。

「どうして、こんなふうでいられるのだろう」
私はショックを受けていた。
その声には、かけらも自己憐憫の念がなく
本心からのお詫びであることが
痛々しいほどに、聞く者に届いていたからだった。
もし自分が同じ立場で癌を宣告されていたなら・・・。

瞬時に脳裏に浮かんだのは
それとは対照的な私自身の姿だった。
自分のことが何よりも最優先する生き方。
自己中心の罪深さが
くっきりと浮かび上がったのだった。
三浦氏を崇めているわけではない。
彼女のうちに働かれた
神の光が私を照らし
本当の姿が映し出された瞬間だった。


なぜだか涙が止まらなかった。
「聖くなりたい」
求めが、涙とともに心の底から溢れ出た。


「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、
 神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、
 すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
 (ヨハネの手紙第1 1:9)


(Kayoko)
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by tmbrs-3 | 2007-05-07 00:23

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